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ナイゲン潜入記その9 10/4(日)東京試演会2日目昼公演

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教室、である。
しかも稽古場としての利用を想定して提供されている施設である。
校内放送用の設備はあっても上演時に使用することはできず(特定の教室のみに放送を流すことは恐らく構造上不可能)、BGMはスピーカーを置いて流すしかない。防音も不十分。スポットライトはなく照明は蛍光灯のみ、光量の調整も利かない。秋晴れの日には大きな窓から容赦なく外光が降り注ぐ。
それでも確かにここで行う意味があったのだと、実感できる試演会だった。

なにしろ既に現役を引退したとは言え本物の校舎、その点では会場としても舞台美術としても最強である。トイレへ走る海のYeah!!の「ありがとうございます!」が廊下にこだまする瞬間は、小劇場では再現しがたいだろう。
「学校が舞台の作品をかつて学校であった建物で上演できる」という単純な利点だけではない。前出の制約も全てが「制約」のままだったわけではなかった。客席の暗転がなく会場内が一様に明るかったことで、舞台のみならず客席も鑑賞(もしくは観察?)の対象にできるという楽しみが増えていた。たとえば文化書記の「イケメ〜ン!」で笑いが起こったときにはお客さんの顔や動きを見て「今のはおもに女性にウケてたみたいだったな」と思ったし、3148がドア前に走ってからは、彼女と議場との間で幾度となく視線を行き来させるドア横のお客さんにも注目せずにはいられなかった。
外的要因の効果ばかりではない。2012・2013年の本公演を観たうえ番記者として稽古場に潜入し、本番前にあらすじをすっかり知ってしまった今回だからこそ、作品そのもの、そして出演者が持つ力を強く感じた。
何度も声を上げて笑った。教室後方座席後列にいたためにどさまわりの顔が花鳥風月のほうを向いたときしか見えなくても、スポットライトの下でなくても、吼えるどさまわりと拾い上げた資料を毅然として差し出す議長の姿に痺れた。あの場面で背中がぞくぞくしたのは今回が初めてだった。

終わったのは「試演」。つまりここからが正真正銘の「本番」ということになる。
今週末から始まる京都公演、そして来月に迫った東京公演までにどこまで完成度を高めることができるのか。今回は役者さん達の声で校内放送が聞き取りづらくなるほどだったけれど新宿FACEの環境では音のバランスはどうなるのか、ちゃんと校内放送らしく聞こえるのか、そもそもプロレス興行にも使われるような会場で観客を「真夏の高校の会議室」に連れていくことが本当にできるのか、半分を超える数が「過半数」なんだから「過半数を超えた」は重複だろうとか(最後のは完全に蛇足だけれど)、気がかりなことはいくつもある。
それでも東京試演会を観た後だから、問いかけることができる。
「これで終わりじゃありませんよね?」


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